「こないだ、●●に旅行に行ってたんですよ」
「へー、そうなんですか。何しに行って来たんです?旅行ですか?」
「…友達に会いにいってたんですよ」
「そうですかー、羨ましい。楽しかったでしょう?」
「…そうですね、楽しかった。満足な旅行でした」
遠征を終えた週末、私は地元に帰って美容院に行っていた。
そのときの私と美容師との会話である。
しかし、私はこのときウソをついていた。
楽しかった旅行であったことは、ウソではない。
友達(ブラザー)に会いにいってたのも、、ウソではない。
しかし、最大の目的はあくまでも遠征地で女性を抱くことであった。
そして、それを達成できなかったので満足は出来なかった。
それが、事実である。
それが事実であるが、美容師にそんなことをいえるわけもない。
そんなことを言う必要も無い。
美容師とはいつもどおりの他愛も無い・感情の動きがない会話をしていた。
髪を切り、私は少しだけリフレッシュした気分でいた。
ちなみに、私が通う美容院はいつもナンパをしているスポットに存在している。
そして、髪を切った後そのままナンパをするのが私のルーティンである。
髪を切った後は、気分もリフレッシュする(散髪後には心がリフレッシュされることは心理学的にも証明されている)。
プロの美容師がセットしてくれているので、おおむね女性の反応も良い。
髪を切った後のナンパは個人的にはオススメできる。
そんなこんなで、私はナンパを始めた。
すると…
女性のオープン率が異常に良いではないか。
話しかけた女性の8割くらいと会話が成立するではないか。
髪を切ったからか?
ナンパ遠征で知らず知らずのうちの、自分の声掛けは成長していたのか?
あるいは、その両方か?
声をかける女の子が、ことごとく反応が良い。
それでも、時間がないなど自分の押しの弱さだったり連れ出しには至らない。
この決定力のなさは、やはりすぐには改善はされない。
しかし、反応が良い中でも私は心のどこかでネガディブマインドがあった。
遠征地で4日間も昼夜を問わずナンパをしてもうまくいかなかった。
なのに、数時間の活動でゲットできるわけがない。
どうせ今日もゲットはできないだろう。
今日はエルゲ・連れ出しができれば御の字だろう。
というマインドだ。ただのふて腐れマインドと言ってもいいかもしれない。
心のどこかで、遠征ナンパを
「結果は出なかったけど、オレは一生懸命頑張ったんだ」という
自己肯定をしたかった気持もあっただろう。
しかし、そんな自己満足は全く通用しないのがナンパの素晴らしさであり、
ナンパの残酷さでもある。
ナンパの光と影と言ってもいいかもしれない。
私は遠征地ではその影を味わった。
そして、この日は影との表裏一体である光を浴びることとなった。
…そう、ナンパの神様が私に微笑んでくれたのだ。
私は、4日間で0ゲットだった遠征地ナンパから1週間もしないうちに
1時間足らずの活動で即ゲットをすることとなった。
続く